馬名ミュージアム カタカナで9文字以内アルファベットで18文字以内と定められている競走馬たちの名前。この短い言葉のなかにその馬に関わる人々の希望や祈り、そして、いにしえのホースマンが紡いできた物語を感じとることができるのです。

バックナンバー

第50回
母系3代に伝わる人名を馬名に戴いた天皇賞馬
第49回
絶対王者の名を冠した菊花賞馬が示した、最高の輝き
第48回
「胡蝶蘭」、「花金鳳花」 という馬名を持つ、華やかな母娘
第47回
インカ帝国の "祝祭" を現代日本に甦らせた一流中距離馬
第46回
複数の大ヒット曲のタイトルと被る、日本競馬の名牝
第45回
女性5人のチームワークとパワーが生んだ "伝説の名牝"
第44回
同じ英語を馬名に持つ、地味な日本馬と欧州のスーパーホース
第43回
「静かなアメリカ人」 が生み出したドラマと皮肉
第42回
偉大なるダンサーの名を受け継いだ記録的長寿馬
第41回
奇妙に重なり合う、同じ名を持つ作家と競走馬の運命
第40回
種牡馬としても成功した菊花賞馬と米音楽界 "ボス" との縁
第39回
"薔薇のために走れ" なかった、「5月の薔薇」
第38回
世にも怖しい名を持つ、G1レース3勝の世界的名馬
第37回
"理力 (=フォース)" を働かせて、英ダービーを圧勝!?
第36回
種牡馬入りして、さらに存在感を高めた 「義賊」
第35回
小さな花から、大きな実を成らす葡萄のように
第34回
競馬世界の織姫星と彦星は、完全なる女性上位
第33回
すべてを与えてくれるのは、いつも "サンデー" !?
第32回
そろそろ"凱旋"のときが待たれる、重賞惜敗続きの名血馬
第31回
馬名にまつわる難解さを吹き飛ばした、超一流馬の競走生活
第30回
さらば、競馬史に残る偉業を達成した地味な名種牡馬!
第29回
香港馬として初めて日本G1競走に勝った「蝦の王様」
第28回
「風神」であるダービー馬の陰に存在した無名の「雷神」
第27回
合衆国に流れ着いた男女が愛を育み誕生した灰色の幽霊」
第26回
「事務局」という名を持つ、20世紀を代表する米の名馬
第25回
ロマンティックに昇華した、夭逝した名牝の競走生活
第24回
黄金世代にも存在した、競馬の世界の "光と陰"
第23回
アルゼンチン最強牝馬の娘の名は 「恋人の日」
第22回
微妙な違和感を覚える馬名が走る米の一流父系
第21回
偉大なるチャンプの軌跡と重なる、短距離王の競走人生
第20回
馬名のスケールも競走馬としても父を上回った "道営の星"
第19回
大物バンドと仏語で繫がる気鋭種牡馬の一流産駒たち
第18回
"ハワイの大王" を父親に持つ "アカハワイミツスイ"
第17回
現代競馬を代表する名馬は、正真正銘の「世界遺産」!?
第16回
競馬世界の "ルパン3世" 的大泥棒!
第15回
欧州最優秀ステイヤーのルーツに日本の伝統芸能!?
第14回
若き日の悔恨を乗り越え、最後に辿り着いた「黄金」
第13回
馬名がトラブルを予見した!? 世界最高のマイラー
第12回
2000年代最強馬の兄はカリブの大海賊!?
第11回
"深夜の賭け"でカジノが倒産!?
第10回
あの超人気作家の処女作から名付けられた菊花賞馬
第9回
歴史的快挙を達成した父と娘の微妙な関係とは!?
第8回
西部に足を踏み入れなかった"金採掘者"
第7回
まるで違う運命を背負った、同じ名前を持つ馬たち
第6回
歴史的女傑の馬名の由来は"銭やった"!?
第5回
「切れ味の鋭さ、この聖剣に如くものなし」
第4回
日米オークス馬は "男装の麗人" だった!?
第3回
競馬世界の 「寿限無、寿限無・・・」
第2回
母から受け継ぐドイツ競馬の歴史
第1回
メリーランド州から届いたプレゼント
第49回 絶対王者の名を冠した菊花賞馬が示した、最高の輝き

1970年代の半ば、日本ボクシング界に、
とんでもない才能を持った新進気鋭が現れました。
その名を具志堅用高。沖縄の石垣島に生まれた、この小柄なボクサーは、
高い運動能力を活かしたラッシュ戦法を武器に、
デビュー9戦目にして、WBAジュニアフライ級王座を獲得、
瞬く間にスターダムへと昇り詰めていったのです。

22歳の若きチャンピオン具志堅用高が、
王座防衛記録を積み重ねていた1977年、
その名を馬名の由来とする一頭のサラブレッドがデビューします。
冠名に、具志堅の名が加わった、インターグシケンが、その馬。
6月札幌の新馬戦でデビュー勝ちを飾ったインターグシケンは、
関西のホープとして期待を集めることになったのですが、
デイリー杯3歳S、阪神3歳S (いずれも当時のレース名) を続けて
2着に惜敗するなど、KO勝利を重ねる本家、具志堅用高のようには、
スカっと行かなかったのです。

3歳2月のきさらぎ賞で重賞初制覇を飾り、
春のクラシックレースに挑んだインターグシケン。
しかし、皐月賞は、追い込んで届かずファンタストの2着、
ダービーでは直線で伸びず、サクラショウリの6着と、
やはりビッグタイトルには縁がないままでした。
そして3歳秋、ついにインターグシケンは、
具志堅用高と肩を並べるチャンプの座に就きます。
具志堅が日本記録を更新する
5連続KO防衛を成し遂げた後に行われた菊花賞で、
見事、3分6秒2のレコード勝利を飾ったのです。

菊花賞で示した、スケールの大きなレース振りから、
古馬になってからのインターグシケンは、本家、具志堅用高のような、
絶対的なチャンピオンになることも期待されていました。
ところが、4歳緒戦の金杯 (西) に勝利した後、
脚部不安を発症したインターグシケンは、長期休養を余儀なくされます。
その後、競走に復帰したものの、失った輝きは取り戻せず、
1979年暮れの有馬記念で、
グリーングラスの13着に大敗したのを最後に現役を退きました。
結局のところ、インターグシケンは、
3年半に渡り王座を守り、日本最多記録となる13度の防衛を果たした
具志堅用高のようには、なれませんでした。
それでも、菊花賞で示した競走馬インターグシケンの輝きは、
具志堅用高が放つフィニッシュブローのように、
後世に語る継がれるべきものだったのです。

(次回は10月27日の水曜日にお届けします)  構成・文/関口隆哉