馬名ミュージアム カタカナで9文字以内アルファベットで18文字以内と定められている競走馬たちの名前。この短い言葉のなかにその馬に関わる人々の希望や祈り、そして、いにしえのホースマンが紡いできた物語を感じとることができるのです。

バックナンバー

第31回
馬名にまつわる難解さを吹き飛ばした、超一流馬の競走生活
第30回
さらば、競馬史に残る偉業を達成した地味な名種牡馬!
第29回
香港馬として初めて日本G1競走に勝った「蝦の王様」
第28回
「風神」であるダービー馬の陰に存在した無名の「雷神」
第27回
合衆国に流れ着いた男女が愛を育み誕生した灰色の幽霊」
第26回
「事務局」という名を持つ、20世紀を代表する米の名馬
第25回
ロマンティックに昇華した、夭逝した名牝の競走生活
第24回
黄金世代にも存在した、競馬の世界の "光と陰"
第23回
アルゼンチン最強牝馬の娘の名は 「恋人の日」
第22回
微妙な違和感を覚える馬名が走る米の一流父系
第21回
偉大なるチャンプの軌跡と重なる、短距離王の競走人生
第20回
馬名のスケールも競走馬としても父を上回った "道営の星"
第19回
大物バンドと仏語で繫がる気鋭種牡馬の一流産駒たち
第18回
"ハワイの大王" を父親に持つ "アカハワイミツスイ"
第17回
現代競馬を代表する名馬は、正真正銘の「世界遺産」!?
第16回
競馬世界の "ルパン3世" 的大泥棒!
第15回
欧州最優秀ステイヤーのルーツに日本の伝統芸能!?
第14回
若き日の悔恨を乗り越え、最後に辿り着いた「黄金」
第13回
馬名がトラブルを予見した!? 世界最高のマイラー
第12回
2000年代最強馬の兄はカリブの大海賊!?
第11回
"深夜の賭け"でカジノが倒産!?
第10回
あの超人気作家の処女作から名付けられた菊花賞馬
第9回
歴史的快挙を達成した父と娘の微妙な関係とは!?
第8回
西部に足を踏み入れなかった"金採掘者"
第7回
まるで違う運命を背負った、同じ名前を持つ馬たち
第6回
歴史的女傑の馬名の由来は"銭やった"!?
第5回
「切れ味の鋭さ、この聖剣に如くものなし」
第4回
日米オークス馬は "男装の麗人" だった!?
第3回
競馬世界の 「寿限無、寿限無・・・」
第2回
母から受け継ぐドイツ競馬の歴史
第1回
メリーランド州から届いたプレゼント
第30回 さらば、競馬史に残る偉業を達成した地味な名種牡馬!

紀元前8世紀、古代ギリシャに登場した盲目の作家ホメロスは、
『イーリアス』 、 『オデュッセイア』 という、
二大傑作叙事詩を後世に残しました。
そのうちのひとつ『イーリアス』で描かれるトロイの英雄が、
ヘクトール、英語表記に直すと“ヘクター(Hector)”です。

2010年5月12日に、惜しくも、この世を去った
超一流競走馬にして名種牡馬である
ヘクタープロテクター (Hector Protector) の馬名は、
前述の古代ギリシャ神話の英雄に由来すると言われています。
“Protector” は、「保護者、守る者」 といった意味ですから、
ヘクタープロテクターを日本語に訳すと、
「守護を為す者、ヘクター」 という感じになるかと思います。

同時期に大成功を収めた種牡馬に、サンデーサイレンス、
ブライアンズタイム、トニービンの 「3強」 がいたこともあり、
いまひとつ印象が地味なヘクタープロテクターですが、
「3強」 に先駆けて、日本競馬史に残る偉業を成し遂げています。

それは、日本生まれの産駒が、史上初めて海外G1競走を制したということ。
1995年に北海道早来のノーザンファームで誕生した
父ヘクタープロテクターの牡駒シーヴァが、
英の名門H・セシル厩舎から競走馬デビューし、
4歳となった1999年に、英G1タタソールズゴールドCで、
見事な勝利を飾ったのです。
このシーヴァ (Shiva) という馬名は、ヒンドゥ教の3大神のひとりで、
破壊を司るシヴァ神の英語表記からきています。
シヴァ神は、古代インドのヴェーダ神話に、その前身が登場しますから、
父ヘクタープロテクターとは 「神話繋がり」 ということになります。
また、シーヴァの1歳上の全兄で、
仏G2フォア賞を制したリムノス (Limnos) も、同じく日本で生まれた馬。
こちらの馬名は、エーゲ海北部に位置する
ギリシャ領リムノス島に由来していて、
父ヘクタープロテクターとは 「ギリシャ繋がり」 となっています。

さて、“ヘクター (Hector) ” という英単語には、
「いばりちらす人、弱いものいじめをする人」 という、
良くない意味もあります。
もしかしたら、6戦全勝で欧州2歳牡馬王者に輝き、
3歳になったG1仏2000ギニーで
連勝記録を 「8」 に伸ばした時期の若きヘクタープロテクターは、
他人 (他馬) の痛みが分からない、嫌なヤツだったのかもしれません。
しかし、種牡馬として日本生産界の縁の下の力持ち的な役割を担ったことで、
中年以降のヘクタープロテクターは、
深くて味わいのある佇まいを見せていたようにも思えます。

23歳で、この世に別れを告げたヘクタープロテクター。
今後は残された産駒たちの 「守護神」 として、
その活躍を天の上から見守ってくれることでしょう。

(次回は6月16日の水曜日にお届けします)  構成・文/関口隆哉