馬名ミュージアム カタカナで9文字以内アルファベットで18文字以内と定められている競走馬たちの名前。この短い言葉のなかにその馬に関わる人々の希望や祈り、そして、いにしえのホースマンが紡いできた物語を感じとることができるのです。

バックナンバー

第22回
微妙な違和感を覚える馬名が走る米の一流父系
第21回
偉大なるチャンプの軌跡と重なる、短距離王の競走人生
第20回
馬名のスケールも競走馬としても父を上回った "道営の星"
第19回
大物バンドと仏語で繫がる気鋭種牡馬の一流産駒たち
第18回
"ハワイの大王" を父親に持つ "アカハワイミツスイ"
第17回
現代競馬を代表する名馬は、正真正銘の「世界遺産」!?
第16回
競馬世界の "ルパン3世" 的大泥棒!
第15回
欧州最優秀ステイヤーのルーツに日本の伝統芸能!?
第14回
若き日の悔恨を乗り越え、最後に辿り着いた「黄金」
第13回
馬名がトラブルを予見した!? 世界最高のマイラー
第12回
2000年代最強馬の兄はカリブの大海賊!?
第11回
"深夜の賭け"でカジノが倒産!?
第10回
あの超人気作家の処女作から名付けられた菊花賞馬
第9回
歴史的快挙を達成した父と娘の微妙な関係とは!?
第8回
西部に足を踏み入れなかった"金採掘者"
第7回
まるで違う運命を背負った、同じ名前を持つ馬たち
第6回
歴史的女傑の馬名の由来は"銭やった"!?
第5回
「切れ味の鋭さ、この聖剣に如くものなし」
第4回
日米オークス馬は "男装の麗人" だった!?
第3回
競馬世界の 「寿限無、寿限無・・・」
第2回
母から受け継ぐドイツ競馬の歴史
第1回
メリーランド州から届いたプレゼント
第21回 偉大なるチャンプの軌跡と重なる、短距離王の競走人生

ベトナム戦争が激化していた1967年春、
「同胞であるベトナム人を殺すことはできない」 という理由で、
良心的兵役拒否を宣言した世界ヘビー級チャンピオンがいました。
そのボクサーの名は、モアメド・アリ。
しかし、南北戦争の時代から、良心的兵役拒否を認めてきたはずの
アメリカ合衆国政府は、
この黒人のイスラム教徒の兵役拒否宣言に
激しい拒絶反応を示したのです。
第一審で、禁固5年と罰金1万ドルを科せられたアリは、
保持していた世界ヘビー級タイトルを剥奪されるとともに、
ボクサーライセンスをも失うことになります。

その後アリは、アメリカ政府を相手に長い、長い法廷闘争に臨みます。
ボクサーライセンスを取り戻し、
リングにカムバックしたのは、1970年10月。
さらに、1971年7月に合衆国最高裁で無罪を勝ち獲ったアリは、
やっと、本業であるボクシングに専念することができたのです。

しかし、ボクサーとして、もっとも脂がのっていたはずの、
25歳から28歳にかけての時期にブランクを作ってしまったアリは、
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」 と形容された、
かつての華麗なボクシングスタイルを
完全には取り戻すことができませんでした。

カムバック後、2度の敗戦を味わったアリが、
無敗の世界ヘビー王者ジョージ・フォアマンに挑戦したのは、1974年10月。
タイトルを剥奪されてから、すでに7年の歳月が経過していました。
当時、フォアマンは25歳、一方のアリは、すでに32歳。
当然、戦前の予想は、圧倒的にフォアマンが有利でした。

ところが、奇跡が起きます。
強打をいなしながら、なんとか前半戦を凌ぎ切ったアリが、
スタミナ切れを起こしかけた王者フォアマンに、
突如反撃の牙をむいたのです。
8R、モハメド・アリの連打をまともに喰らったフォアマンは、
もんどり打ってダウンし、そのまま起き上がってきませんでした。

このアリがフォアマンを倒したタイトルマッチは、
試合が開催されたアフリカの都市名に因み、
「キンシャサの奇跡」 と呼ばれています。
そう、2010年3月にG1高松宮記念を制したキンシャサノキセキは、
この世界的ビッグマッチが馬名の由来となっているのです。
そして、7歳で初G1タイトルを獲得したキンシャサノキセキの競走人生は、
タイトルを取り戻すために7年の歳月を費やしたアリの軌跡と、
重なっているようにも感じられるのです。

フォアマンから王座を奪回したアリは、
その後10回連続でタイトル防衛に成功しました。
今後の競走馬キンシャノキセキも、偉大なるモハメド・アリに倣い、
さらに重賞タイトルを積み重ねることを期待したいと思います。

(次回は4月14日の水曜日にお届けします)  構成・文/関口隆哉