海の向こうの競馬、そしてホースマン

第10回
さまざまなことを学んだ「馬術部」での日々(2)
 

合田さんが入部した慶応普通部(中学)
馬術部の同期生には、
競馬の世界に縁が深いVIPたちの
子弟もいたそうです。

「前々回で、那須野牧場の話を、
 ちょっとしましたが、
 そのオーナーブリーダーである
 河野洋平(現衆議院議長)先生の甥子さんが
 同じ学年の同じクラスにいました」

「それから、雷が鳴り響くなかで
 レースが行なわれた1967年のダービーを制した
 アサデンコウの生産牧場である千葉新田牧場の息子も、
 同じ学年の馬術部部員でした。
 そして千葉新田牧場と、我が馬術部は、
 やがて深い関係で結ばれていくのですね」

それは、合田さんが慶応普通部(中学)の
3年生になったときでした。

「ちょうど美浦トレセンが開場された時期で、
 美浦トレセンの周囲に、
 育成牧場がたくさん必要になったんです。
 千葉新田牧場も、
 生産牧場から育成牧場へ鞍替えすることになった。
 千葉新田牧場は、
 素晴らしい施設を持っていましたし、
 設備面で育成牧場に変わることは、
 なにも問題はなかったわけです」

「ただし、育成牧場としてやっていくためには、
 乗り役の数が完全に不足していた。
 そこで白羽の矢が立ったのが、
 息子さんが所属している慶應中学馬術部員だったのです」

こうして15歳になった合田少年は、
馬術競技の大会に参加するだけでなく、
プロの乗り役(?)として
アルバイト賃金を得ることとなったのです。

(第11回に続く)

構成・文/関口隆哉

 

合田直弘氏 プロフィール

1959年東京生まれ。慶応普通部(中学)時代から馬術部に所属するかたわら、千葉新田牧場で「乗り役」としてのアルバイトをこなす。慶応大学経済学部卒業後、1982年テレビ東京に入社。『土曜競馬中継』の制作に携る。1988年テレビ東京を退職し、内外の競馬に関する数多くの業務をこなす(有)リージェントの設立に参加。
現在は、『世界の競馬』(NHK-BS)、『鈴木淑子のレーシングワールド』(グリーンチャンネル)などのキャスターも務めている。

 

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