馬名ミュージアム カタカナで9文字以内アルファベットで18文字以内と定められている競走馬たちの名前。この短い言葉のなかにその馬に関わる人々の希望や祈り、そして、いにしえのホースマンが紡いできた物語を感じとることができるのです。

バックナンバー

第80回
世界に大きな影響を与える組織の名が付けられたダービー馬
第79回
勝負事の真理を見せた、日本競馬史に残る「究極の美女」
第78回
"西の風" の父と "南東の風" の息仔を持つ重賞2勝の名牝
第77回
探し物をしながら成功を得た、父と娘と娘の息仔
第76回
2歳時に活躍した、「大忙しの人生」 という名を持つ短距離馬
第75回
「賭場の女主人」を母に持つ「正真正銘の」名馬
第74回
ジャズ界の巨人の如き競走生活を目指す、若き去勢馬
第73回
山河より流れ出で、大洋へと繋がった2頭の桜花賞馬
第72回
旧約聖書に登場する怪力の士師が宿ったG1戦4勝の名馬
第71回
勝負への鋭い臭覚を持つ、競馬世界のストライカー
第70回
「人」である父の悲願を「神」である娘が達成か!?
第69回
桜花賞を快勝した 「泥まみれの金襴緞子」
第68回
皇帝の座に昇り詰めた、「犯罪王」
第67回
太陽のような輝きを放つ「抽せん馬の星」
第66回
あやとり「猫のゆりかご」を馬名にした、日本G1馬のいとこ
第65回
世界的名曲を馬名とした名牝が、2月14日に産んだ娘の名は!?
第64回
有名戦国大名と世界的名種牡馬の意外な関係とは?
第63回
南国土佐で馬名通りの走り示した、ダート短距離戦線の星
第62回
孫娘たちに託された、夏場の快進撃
第61回
馬名から受ける印象を覆した、地に足が着いた名牝
第60回
シブいTVドラマから名付けられた、1976年最優秀古牡馬
第59回
多くの国々を旅した気分を味わえる、個性派G2馬とその兄弟
第58回
倒語で馬名が付いた、1970年代初頭の歴史的名牝
第57回
"鷹" と "犬" が融合した2007年最優秀2歳牡馬
第56回
馬名通りに競馬ファンの "裏をかいた"、マイル戦得意な名牝
第55回
日本でG1を制した、ロンドンのストリート名が付いたアメリカ馬
第54回
世界レコードを樹立した女傑の名は、子供向けの飲み物
第53回
競馬世界の "太陽神" が持つ、複雑な性格
第52回
豊かな才能を全開にした妹を祝福する兄の快走
第51回
爽やかなカクテル名を持つ牝馬に求められるもの
第50回
母系3代に伝わる人名を馬名に戴いた天皇賞馬
第49回
絶対王者の名を冠した菊花賞馬が示した、最高の輝き
第48回
「胡蝶蘭」、「花金鳳花」 という馬名を持つ、華やかな母娘
第47回
インカ帝国の "祝祭" を現代日本に甦らせた一流中距離馬
第46回
複数の大ヒット曲のタイトルと被る、日本競馬の名牝
第45回
女性5人のチームワークとパワーが生んだ "伝説の名牝"
第44回
同じ英語を馬名に持つ、地味な日本馬と欧州のスーパーホース
第43回
「静かなアメリカ人」 が生み出したドラマと皮肉
第42回
偉大なるダンサーの名を受け継いだ記録的長寿馬
第41回
奇妙に重なり合う、同じ名を持つ作家と競走馬の運命
第40回
種牡馬としても成功した菊花賞馬と米音楽界 "ボス" との縁
第39回
"薔薇のために走れ" なかった、「5月の薔薇」
第38回
世にも怖しい名を持つ、G1レース3勝の世界的名馬
第37回
"理力 (=フォース)" を働かせて、英ダービーを圧勝!?
第36回
種牡馬入りして、さらに存在感を高めた 「義賊」
第35回
小さな花から、大きな実を成らす葡萄のように
第34回
競馬世界の織姫星と彦星は、完全なる女性上位
第33回
すべてを与えてくれるのは、いつも "サンデー" !?
第32回
そろそろ"凱旋"のときが待たれる、重賞惜敗続きの名血馬
第31回
馬名にまつわる難解さを吹き飛ばした、超一流馬の競走生活
第79回 勝負事の真理を見せた、日本競馬史に残る「究極の美女」

1970年代後半、日本リング界を席捲した
“ビューティ (Beauty)” たちがいました。
それは、全日本女子プロレスに所属し、
WWWA世界タック王座に君臨していた、
ジャッキー佐藤、上田マキという二人のレスラーのコンビ、
“ビューティ・ペア (Beauty Pair)” です。
ヒールである“ブラック・ペア (池下ユミ&阿蘇しのぶorマミ熊野)” と、
数々の名勝負を繰り広げたビューティ・ペアの人気は本当に凄まじく、
“全女” の会場はいつも超満員。
ブームのピークに発売された、
彼女たちが歌い踊る 『かけめぐる青春』 は、
80万枚の売上げを記録する大ヒットとなったのです。
正直、当時の10代の男子の大半は、
ビューティ・ペアに関して、「本当にビューティ (美人) かぁ?」
という疑念を持っていたかとも思いますが、
この大ブームを支えた、ティーンエージャーの女の子たちにとって、
ビューティ・ペアは、「宝塚の男役」 にも通じる、
憧れの存在となったのです。

“ビューティ・ペアブーム” から10年ほどの歳月が流れた
1987年の牝馬クラシック戦線、
日本競馬界にも飛び切りの “ビューティ” が登場してきました。
その3歳牝馬の名は、マックスビューティ “Max Beauty”。
3歳1月のOP特別紅梅賞から連勝街道を突っ走った
マックスビューティは、8馬身差の圧勝でG1桜花賞を制覇。
道中で他馬と接触する不利があったG1オークスでも、
2馬身半差の危なげのない勝利を飾り、
鮮やかに牝馬2冠馬に輝いたのです。
秋に入り、牡馬を蹴散らしたG2神戸新聞杯、
牝馬3冠達成がかかるエリザベス女王杯の前哨戦である
G2ローズSと勝利し、
通算8連勝 (重賞5連勝) を記録したマックスビューティは、
その馬名にちなみ、「日本競馬史上最強の “究極の美女”」 という
最上級の評価を受けることにもなったのです。
マックスビューティは、470~500キロの馬体重でレースに出た偉丈夫。
筋肉質の逞しい身体付きと爆発的な強さは、
“日本女子スポーツ界の二大ビューティ” である、
ビューティ・ペアと共通するものがありました。

ところが、牝馬三冠達成が確実視され、
単勝1.2倍の圧倒的1番人気に推されたG1エリザベス女王杯において、
マックスビューティは、4番人気の伏兵タレンティドガールの急襲に屈し、
2馬身差の2着に完敗してしまいます。
このマックスビューティが牝馬3冠を取り逃がしたエリザベス女王杯は、
1980年代の日本競馬界を代表する番狂わせのひとつ。
ビューティ・ペアのプロレス・キャリアに例えれば、
ブラック・ペアにWWWA世界タック王座を奪われた、
1977年4月に行われたタイトルマッチのようなものでしょうか。
「勝負の世界に絶対はない!」。
このシンプルにして奥深い真理を、
ビューティ・ペアもマックスビューティも、体現してくれたわけです。

(次回は5月25日の水曜日にお届けします)  構成・文/関口隆哉