知恵の言葉

"顔見せ"につきあうべからず(中編)

専門家でもこの程度なのだから、
土、日曜日しか馬を見られないファンにとっては、
連対馬を選びだすことはもちろん、
馬の調子の良し悪しをつかむことすらむずかしいのではないか。
たとえセレクトしても、それがイコール好走馬でなくては意味がない。
仮にオグリキャップ、スーパークリークなどのスターホースに、
ちがう馬の名札をつけてパドックにだしてみても、
はたして何割のファンが「ちがう」と見抜けるだろうか。
こんなワケで、一般的にはラジオ、テレビを通じての専門家のコメントがなければ、
馬の良し悪しはわからないといっても過言ではない。
つまり、多くのファンは、専門家の主観に引きずられているのだ。
専門家が「仕上がっている」といえばそのように見えるし、
「ダメ」といわれればそのように見える・・・というか、そう思ってしまうのである。
実際、2人の専門家にコメントを述べさせると、
真実はひとつしかないのに、2人の意見が異なることがほとんどだ。
ときとして意見が合うこともあるが、馬の序列が違っていたりする。
パドック解説というのは、このくらいアイマイなのである。
だから、“週一” “週二”のファンがわかることといったら、
「牛のような馬は走らない」とか
「汗をかいているな」くらいのことが関の山だろう。

返し馬も同様だ。
返し馬というのは、馬をコースにならしたり、
コズミをほぐすためのウォーミングアップである。
また、その際、気合不足の馬に気合をいれたり、
入れ込んでいる馬をなだめたりする。
そして、このときの専門家のコメントもパドック同様、さまざまだ。
たとえば、「返し馬をしないから○○はダメ」とか、
「○○の返し馬は必要ない」といった調子。
しかし、これだって、「しないからダメ」でないケースが多いし、
「必要のない馬」イコール連対馬とは限らないのである。
それに、ファンにとって、返し馬での判断は
パドック以上に至難のワザなのだ。
パドックでの仕上がり具合でさえアイマイなムキに、
思い思い走っている馬の観察なんてどだいムリな話なのである。

それこそ・・・

・・・続きは火曜日の更新をお待ちください!

東邦出版発行『知って得する競馬の金言』より
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