2010年08月04日
こんにちは。
相変わらず暑い日がつづきます。
きょうは 「ビアホールの日」 なんだそうです。
1899 (明治32) 年のこの日、東京・銀座の新橋際に、
現存する中では日本で最も古いビアホール
「ヱビスビヤホール」 が開店したのを記念したもののようです。
グイッと一杯、暑気払いといきたいものですね。
さて、3年前のダービーデーに行われた目黒記念、
ポップロックの日本最後の勝利をあげたレースですね。
デビュー2戦目の弥生賞で2着に健闘したココナッツパンチが、
馬体減に悩まされダービーの権利が取れないままに
同日の目黒記念に出走してきたお話をしています。
この日も彼はマイナス4キロとデビュー以来最低の馬体重です。
しかし彼は好スタートを決めると道中ではじっくり脚を溜め、
直線に賭けるのか、ポジションを下げていきます。
東京の直線502m、各馬が横に広がる追い比べから
武豊騎手のポップロックが鋭く抜け出し、
ココナッツパンチの吉田豊騎手が必死に追いすがり
アタマの差まで迫ったところがゴールでした。
ポップロック58.5キロ、ココナッツパンチ51キロと
圧倒的な斤量差はありましたが、
この時期の3歳馬が完成された古馬相手に
これだけの競馬を見せるのは尋常ではないでしょう。
ダービー馬ウオッカが次走の宝塚記念で同じような斤量差で
見せ場のない8着に敗れています。
ダービー2着アサクサキングスは15着に惨敗しました。
目黒記念組はポップロックが3着に追い込み、
目黒記念3着のアドマイヤフジがつづきました。
単純な比較は無意味ですがココナッツパンチにも出番があった、
そんな思いが残る宝塚記念でした。
ココナッツパンチは目黒記念後に長い休養に入り、
1年後の日経賞でカムバックしましたが、
3歳時の鋭い切れ味をどこかに置いてきてしまったような
レースを繰り返すばかりでした。屈腱炎だったようです。
きょうも来てくださってありがとうございます。
素質を生かしきれないまま引退したココナッツパンチですが、
彼は思ってもみなかった場所で、それは元気に暮らしていました。
あすは彼の第2の人生の模様をお届けします。
『馬名ミュージアム』 を更新しました。
さて今回の主役は?
ぜひ本編にてご確認ください。
どうぞよろしくお願いします。