武豊 西川哲 新春特別対談

“スーパージョッキー”武豊騎手と、競馬の世界でトップを目指す東京サラブレッドクラブ社長西川哲が存分に語り尽くしてくれました。
第4回
かくれんぼの場所は、馬房にいる競走馬の陰

栗東トレセンにある武田作十郎(注1)厩舎内に備えられた住居で
生活していた、少年時代の武豊騎手。
彼にとって、いつも身近にいる競走馬たちは、どんな存在だったのでしょう。

もしかすると、普通の人が犬や猫に対して持つ、
愛するペットたちへの感情に、近いものがあったかもしれません。
朝は、厩舎にいる馬たちにニンジンをあげてから、学校に行っていましたね。

一頭、一頭の顔と名前は覚えていたの?

はい、ちゃんと覚えていましたよ。
それで、お気に入りの馬とかができて、
そういう馬は、ニンジンをやるときでも、ちょっと贔屓していたんです(笑)。
学校の友達が家に遊びに来て、かくれんぼをするときは、
馬房に入って、馬の陰に隠れたりしていましたね(笑)。

ぼくの場合、“何かスポーツをやれ” と、父親には言われていて、
小学生時代は、ずっと柔道と野球をやっていた。
そこにゴルフが入ってきたのが、小学生4年生ぐらいのとき。
で、1年ほど経ったときに、
“もし、ゴルフを続けるなら、毎日練習しなきゃダメだぞ” と、
父親に言われた。

そのときから、将来はゴルファーになろうと考えていたの?

いや、最初はイヤイヤ練習をやっていたんだよね。
ところが、イヤイヤでも毎日練習していると、確実に上手くなっていく(笑)。
それで、中学生になったときにゴルフ一本に絞って、ジュニアの大会に出た。
丸山(注2)や、伊沢さん(注3)とも戦ったのだけど、
出る大会、出る大会、全部勝てたんだよね。
まあ、今考えると、自分にとって、いちばん強い時期だった(笑)。
プロになろうと決心したのは、高校3年生のとき。
大学行くより、プロゴルファーの道を歩もうって。
その頃は、プロになることに対しても、
凄く自信を持っていたことは、確かだよね。

 

(金曜日更新の第5回につづく)

  
 (注1)
武田作十郎調教師は “人づくりの名人” と讃えられた名伯楽。
弟子には、武邦彦、河内洋、そして武豊という錚々たる名騎手たちがいる
(注2)
丸山茂樹プロ
(注3)
伊沢利光プロ
  
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