2010年10月15日
こんにちは。
物事の本質に沿った数々の辛口コメントを残してくれた
故・大川慶次郎さんの思い出話をしています。
慶応大学を卒業して家業の製紙会社に就職した大川さん、
が、競馬への熱い思いを断ちがたく会社を辞めてしまいます。
無事に勤め上げていれば将来の重役、
あるいは社長の座も約束されていたのは想像できます。
競馬好きが高じたとはいえ度胸のいい話です。
次の就職先は新田新作さん専属の競馬担当秘書、
いまでいうレーシングマネージャーみたいなものです。
日本プロレスの生みの親であり、
明治座社長として大衆娯楽の 普及と発展に貢献した
新田さんは、第1回有馬紀念 (中山グランプリ) のメイヂヒカリ、
ダービー馬ヒカルメイジなどの馬主としても活躍します。
そこで大川さんはメイヂヒカリと出会います。
メイヂヒカリはダービー馬にして大種牡馬クモハタの仔で
デビュー以来、朝日杯3歳S (当時) を含み6連勝、
当然クラシックの最有力候補に期待されていました。
ところがスプリングSで5着に敗れ、飛節を痛めてしまいます。
新田さんは向こう意気の強い人で皐月賞を諦め切れません。
「未来がある馬だから出走させないでくれ。
それに大金を投じて馬券を買うファンに迷惑がかかる」
大川さんは土下座までして新田さんを説得したそうです。
馬を想い、ファンを想う、
大川さんの姿勢は終生一貫していたように思います。
休養が効を奏しメイヂヒカリは菊花賞を勝ちました。
ダービー馬オートツキを10馬身ちぎる圧勝でした。
翌年は新設された中山グランプリ (現・有馬紀念) を勝利して
年度代表馬に選ばれています。
馬を想う人がいて、それに応える馬がいる。
競馬の素晴らしさを教えてくれる貴重なエピソードです。
きょうもも来てくださってありがとうございます。
明日からの馬券作戦はいかがでしょうか。
良い週末になるようにお祈りします。