2010年10月14日
こんにちは。
古今の名勝負にまつわるお話をしています。
96年の阪神大賞典、ナリタブライアンとマヤノトップガン、
競馬史に残る凄絶な叩き合いを “名勝負にあらず” と
喝破したのは競馬評論家の大川慶次郎さんでした。
あのレースはトライアルで両馬とも万全の状態ではなかった、
一流馬が最高の状態で持てる能力、
またはプラスアルファの力をふりしぼり、
相譲らない接戦であることが名勝負の条件だというのです。
そんなレースは滅多にあるわけじゃない。
だから名勝負の尊称で呼ばれ価値を認められるわけです。
オーナーブリーダーの父上・義雄さんに連れられての競馬観戦、
なにしろ大川さんは8歳でダービーを目撃したのが最初です。
亡くなられるまで62年間、いくつレースを見たのでしょうか。
その中で大川さんの眼鏡にかなった名勝負は
いったいいくつあったのでしょうか。
どの世界であれ目利きを育てる秘訣は、
本物だけを見せて育てることだといわれます。
ファーッと見ただけで真贋が分かるようになるそうです。
子供の頃から牧場で育ち、小学生で競馬場通いをはじめた
大川さんには自然とそれが備わっていたのでしょう。
天性のホースマンとしかいいようがありません。
古くからの馬主で学生時代の大川さんと交友のあった
ナカヤマフェスタの和泉信一オーナーは
『競馬場に出入りする人間で数少ない信用できる男』
と、その人間性を高く評価しています。
大実業家・渋沢栄一翁の曾孫という育ちの良さが
人柄に現れていたのでしょうね。
大川さんはその後、就職しても競馬が頭から離れず、
第1回中山グランプリ (有馬紀念) を勝ったメイヂヒカリ、
ダービー馬のヒカルメイジなどを所有していた
新田新作さんの競馬秘書として活躍します。
今でいえばレーシングマネージャーでしょうか。
このとき、大川さんの天性のホースマンぶりを
如実に語るある事件が起きます。
その事件とは? このつづきは明日お届けします。
きょうも来てくださってありがとうございます。
あすもJ-horsemanをよろしくお願いします。