2010年10月05日
こんにちは。
早いもので秋の中山開催も終わり、
今週からは2回連続の東京・京都開催が開幕します。
第1週は天皇賞・秋のステップレースとして重要な意味を持つ
毎日王冠 (芝1800m) と京都大賞典 (芝2400m) が行われます。
毎日王冠は1950年創設ですから、今年で61回目を迎えます。
けっこう長い歴史を持っているのですが、
84年に天皇賞・秋が2000mへ距離短縮されたのに伴い
それまでの2000mから1800mへと現在の体系になりました。
ここを叩き台に本番を制した馬は昨年のカンパニーをはじめ
トライアルの中では群を抜く実績を残しています。
しかしかつてはちょっと “物悲しい” 物語もありました。
菊花賞や天皇賞・秋に出走資格のない馬が
鬱憤を晴らすかのようにこのレースに出走してきたのです。
88年、3歳時のオグリキャップはクラシック登録がなく、
毎日王冠から天皇賞・秋のローテーションを歩みました。
歴代勝ち馬で93年シンコウラブリイ、99年グラスワンダーは
天皇賞出走資格がない外国産馬でした。
94年のアヌスミラビリスはゴドルフィンの刺客、外国馬です。
02年マグナーテンは外国産の上、せん馬とあって、
二重の出走制限に引っかかっていました。
使えるレースがここしかない馬たちが大暴れした時代です。
00年に外国産馬の天皇賞出走が2頭まで認められます。
しかし翌年、大事件が持ち上がりました。
神戸新聞杯から天皇賞に矛先を向けたクロフネが
賞金順で出走除外となってしまったのです。
やむなく天皇賞前日の武蔵野S (ダート1600m) を選び、
1分33秒3の驚異的なレコードで9馬身差をつけます。
次走ジャパンCダート (ダート2100m) も2分5秒9のレコード、
ウイングアローを7馬身ちぎる圧勝劇を演じました。
もし出走除外になっていなかったら、
“史上最強のダートホース” クロフネは幻になっていたでしょう。
クロフネを賞金順位で上回り天皇賞に出走したのは
アグネスデジタル (1着) とメイショウドトウ (3着) でした。
あの頃の外国産馬は本当に強かったのですね。
きょうも来てくださってありがとうございます。
さて、時代の推移とともに毎日王冠の位置づけも変わってきます。
「使うレースがない」 から 「あえてここを使う」 になってきました。
クラシックではなく最初から天皇賞をめざした3歳馬たちです。
あすはそのあたりを探ってみたいと思います。
こちらも、どうぞよろしくお願いします。