2010年08月03日
こんにちは。
アイルランドへ渡ったポップロックが、
ヨーロッパデビュー戦を快勝したお話をしています。
さて、そのポップロックの日本での最後の勝利が
2007年5月27日の東京競馬場、角居厩舎の後輩ウオッカの
劇的勝利の余韻が残る目黒記念で武豊騎手を背に
3歳馬ココナッツパンチ以下を封じたレースでした。
ダービーの日に3歳馬が目黒記念に出走するというのは
かなり奇妙な感じがします。
ココナッツパンチは吉田照哉さんのオーナーブリーダー・ホースで
美浦の大久保洋吉厩舎に所属したマンハッタンカフェ初年度産駒。
3歳2月の東京で33秒台の末脚を駆使して鮮やかなデビュー勝ち。
2戦目に選んだG2弥生賞でも後方一気の伸び脚で
アドマイヤオーラをクビ差まで追いつめる2着、
3着ドリームジャーニーには2馬身近い決定的な差をつけていました。
さあ、クラシック。
しかし皐月賞に出走してきたココナッツパンチはマイナス14キロ、
生涯最高馬体重だったデビュー戦に比べると22キロ減です。
父マンハッタンカフェもこの時期に異常な馬体減に悩まされ
クラシックを棒にふっています。
良いところも、そうでないところも引き継ぐのが血統なのでしょうか。
大外18番枠からスタートしたココナッツパンチは、
ヴィクトリーが逃げ、サンツェッペリンが二番手で折り合う展開に
馬群の後方でもがきつづけます。
結局、前に行った二頭が残り追い込み勢は完封されました。
1番人気のアドマイヤオーラも4着に敗れ、
鞍上の武豊騎手はこの一戦を最後にアドマイヤ軍団の
主戦ジョッキーの座を降りることになります。
俗に言う “アドマイヤオーラ事件” です。
後味の悪い一戦になってしまいましたが、
勝ち馬から0.6秒差の9着に敗れたココナッツパンチにとっても
苦すぎる敗戦でした。
ダービーへの出走権を確保できなかったのです。
順調なら青葉賞からダービーという路線もあります。
しかし馬体回復に努める彼にその余裕はありません。
牝馬ウオッカがヴィクトリーランで観衆を湧かせているその時、
彼は最終レース目黒記念のパドックを周回していました。
馬体重はマイナス4キロ。やはり戻りませんでした。
きょうも来てくださってありがとうございます。
ココナッツパンチの物語、つづきは明日お届けします。
どうぞよろしくお願いします。