
2010年07月13日
こんにちは。
かつて “3歳ダート三冠” という呼称がありました。
96年にスーパーダートダービー (大井2000m) と
ユニコーンS (東京1600m) が創設され、
先発のダービーグランプリ (盛岡2000m) と合流する形で
新たに発足したものです。
その後、99年にスーパーダートダービーが格付け廃止、
代わりにジャパンダートダービー (大井2000m) が創設され、
“ダート三冠” の形がようやく整います。
当初は秋に開催されていましたが、
01年、ユニコーンSが6月開催に移設されると、
7月にジャパンダートダービー、9月ダービーグランプリと
現在に近い体系ができあがります。
しかしダート三冠は短命に終わりました。
07年に経営不振からダービーグランプリが格付け廃止。
わずか10年ちょっとで幕を閉じてしまいます。
史上唯一の “3歳ダート三冠馬” はカネヒキリです。
しかし彼の場合、G1を7勝とかダート三冠とかの勲章より、
サラブレッドにとっての業病・屈腱炎から
不死鳥のように蘇った馬として記憶されるでしょう。
史上初めてダート三冠を制し、
ジャパンCダート、フェブラリーSとG1を勝ちまくり、
いつしか “砂のディープインパクト” の尊称で
人々は彼を呼ぶようになっていました。
が、ドバイ帰りの帝王賞を勝ったところで屈腱炎を発症、
手術とリハビリに2年以上の歳月を費やすことになります。
金子真人オーナー、角居勝彦調教師はじめ関係者の
勇気と忍耐は大変なものがあったと思います。
それはカネヒキリ1頭のみならず、同じ業病に苦しむ
サラブレッドやその関係者に勇気をくれました。
さて病癒えて2年4ヵ月ぶりに武蔵野Sに出走した彼は、
中団の馬群にもまれ、そのまま9着でレースをおえます。
『やはり、だめか・・・』
競馬場でテレビの前で誰もがそう思ったことでしょう。
きょうも来てくださってありがとうございます。
このつづきは明日お送りします。
ダート競馬にまつわるちょっといい話、
明日もどうぞよろしくお願いします。
