2009年12月23日
こんにちは。
今週は有馬記念がはじまった頃の
名馬とホースマンのちょっといい話をお届けしています。
第1回のメイヂヒカリにつづき第2回を制したハクチカラは
前年5着からリベンジを果たした格好になりました。
第3回も前年2着オンワードゼアが勝ち、
なんとなく実力馬の
勝ち抜けトーナメントみたいな雰囲気になってきました。
しかし50年代最後のグランプリとなった第4回は、
昨年2着のクリペロは毎日王冠快勝後に休養に入り、
勝ち馬オンワードゼア、3着マサタカラは引退しています。
ファンは“世代交代”・“新風”を求めたのでしょうか。
その年の菊花賞馬ハククラマ、ダービー馬コマツヒカリと
フレッシュな3歳馬が上位人気を集めました。
コマツヒカリは第1回のメイヂヒカリの半弟で、
ダービーにつづきグランプリでも兄弟制覇を狙っています。
でもいつの時代も競馬はやってみなければ分かりません。
9人気と低評価の4歳牝馬ガーネツトと伊藤竹男騎手が
直線に向かうや
道悪を嫌って姿が視界から消えるほどの大外に持ち出すと、
内でもがく有力馬を尻目に外らち沿いを気分良く疾走し、
史上初めて牝馬が勝利します。
ちなみにこの奇襲戦法は“シンザンが消えた”と
伝説になった第10回で再現されることになります。
伊藤竹男騎手は回り合わせなのでしょうか、
ヒーローの敵役に騎乗することが多く、
メイヂヒカリのライバル・キタノオー、
シンザンの2着を指定席にしていたウメノチカラなど、
またのちには同厩舎の“貴公子”リュウズキに対する
顔面の大きな流星から“白面の荒法師”の異名をとり
菊花賞や天皇賞で大穴をあけたニツトエイト、
とにかく個性派ぞろいの馬を乗りこなしました。
50年代は馬もホースマンも個性的だったのですのね。
さて、史上初の牝馬の有馬記念馬となったガーネツト、
重賞レースでは一息足りずに勝てなかった彼女ですが、
引退直前の天皇賞・有馬記念を連覇した姿には、
ことしのカンパニーがかぶりますね。
馬主の畑江五郎さんは友人たちとの祝宴で
「フロラヴァースを手放さなくて本当に良かった」
と涙にむせんだと伝えられます。
フロラヴァースは畑江さんが
名門・小岩井農場から譲り受けた繁殖牝馬で、
彼女がサンキストという牝馬を産んだ直後に
畑江さんは戦争に応召され
戦後も長く抑留生活を余儀なくされます。
しかし残された家族に大事に育てられたサンキストは
やがてトサミドリとの間に娘を産みます。
時代の荒波の中をたくましく生き抜いてきた
一族の思いを結晶させたような馬、それがガーネツトでした。
きょうも来てくださってありがとうございます。
合田直弘さんの『海の向こうの競馬、そしてホースマン6』
2009年の海外競馬を振り返ります。
どうぞよろしくお願いします。